第45回 歴史講座 日時:2018年4 月1 日(日)13:30~15:30
題目: 日光東照宮 ~家康をまつる豪華な神社~ 場所 :北区区役所多目的室 講師: 室井孝雄 参加者:18名
1、世界遺産の日光東照宮
二荒山神社、日光東照宮、日光山輪王子の2社1寺1999年登録された。
2、東照宮建立前の沿革
奈良時代 日光山が山岳信仰の地として栄えた。
782年には男体山を御神体として二荒山神社が建立された。
3、東照宮の沿革
家康が死去、遺言により久能山へ埋葬、翌年「東証大権現」の神号を受け東照宮の社殿完成。
4、なぜ東照宮に家康が祀られたか
宇宙の中心である「天の北極」天道思想
5、東照宮地図
6、彫刻がいっぱいの東照宮
東照宮全体で5173体 陽明門だけで508体
7、工夫に満ちた東照宮
石鳥居 高さ9m柱の直径1.2m 他
8、神獣とは
霊獣11種 霊獣数 109体 霊鳥 40体
9、実在する動物
15種
10、実在する植物
50種
11、自然をモチーフとした彫刻
雲、月、稲妻、水、岩
12、東照宮の周りにある建物
13、日光という地名の由来
二荒→日光
14、日光東照宮社参とは
将軍が日光東照宮へお参りに行くことをいう。
秀忠4回 家光10回 家綱2回 吉宗、家治、家慶1回。
15、杉並木について
ギネス世界記録「世界最長の杉並木」総延長37km
16、その他。
第46回歴史講座
月日:2018年4月29日(日)
時間:13:00~15:00
題目:富士山の噴火と伊奈家7代目半左衛門忠順(ただのぶ)
(初代忠次から3代忠治の利根川東遷、荒川西遷)
講師:平川敏彦
参加者:21名
伊奈家初代忠次
利根川東遷荒川西遷を成し遂げた伊奈家初代忠次と3代忠治
富士山噴火災害復興担当だった7代半左衛門忠順を説明する講師
伊奈家を語るに初代伊奈忠次、忠治を語らず先へは進めない。
徳川家を出奔し堺で商いをやっていた叔父へ父共々身を寄せていた忠次であったが
32歳の年本能寺の変が勃発する。家康は堺にいた。忠次は父と別れて小栗吉定を頼り
家康に合流する。伊賀越えである。
家康は関東へ国替えとなった。小田原、鎌倉、江戸のどこに拠点を置くか忠次の意見を聞く。
忠次は江戸をすすめる。
忠次は関東地区全体の土地改良河川の改修治水工事を手掛けた。
3代忠治、4代忠克につなげる利根川東遷、荒川西遷を手掛けた。
7代半左衛門忠順
富士山麓で4.5mの降砂火山灰は西からの偏西風に乗って房総地区まで及んだ。
作物は取れず餓死者が出る。
幕府は小田原藩に「返地公収」をし酒匂川の川さらい砂除け奉行として伊奈半左衛門が任命される。
59か村は亡所(年貢は不要幕府はその土地も民も面倒見ない土地)に指定された。
ある日亡所から若者が助けを求めやってくる。「鳥さえも去っていった」という言葉に胸をえぐられる思いがして半左衛門は急行する。「お上は決して見放しはしない・・・・」と
しかしお上は目も向けるどころか禄高に応じて集めた災害復興金1/2はどこかへ消えてしまい半左衛門の意見に耳を貸そうとはしなかった、
半左衛門は時の権力に立ち向かうことを決意する。
「民を見捨てて代官が生きていても意味はない」「すべてはこの半左衛門忠順が責任を負う」
そして書付を偽って駿河の米蔵から米を出して餓死から農民を救う。駿河の代官能勢権平衛も半左衛門の義に打たれ協力する。
しかしお上は調べ始める。
半左衛門は多に類が及ばぬ様にと「切腹」という道を選ぶ。
老中間部詮房儒学者新井白石は悔いたのか(後ろめたかったのか)亡所へ災害復興米を出していく。
富士山麓では36年もの年月を経て亡所が解除される。
幕府では伊奈半左衛門は「病死」とし記録から消した。
がこの間 民はしたたかに生き半左衛門は民の心と記憶からは消え去ることはなかった。
口から口へと言い伝えられ崇められやがて小さな祠が各所にできて半左衛門忠順は伊奈神社の祭神となる。伊奈半左衛門忠順も最後のことば「民百姓を見捨ててはならぬ また民百姓から見捨てられてもならぬ」命を懸けて民百姓を救った埼玉の誇り「伊奈半左衛門忠順」のお話でした。